L.A発、よみがえれ我が祖国・日本!
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マンザナー日系強制収容所巡礼の旅2012(パート1)
一昨日はマンザナー日系強制収容所の跡地で、巡礼セレモニーがあった。このイベントが催されるようになって今年で43年目だ。私は過去、10年前、2年前と今回で3度目の参加である。

マンザナーで生まれた68歳のイトコが早朝5時半に迎えにきた。目的地まで約400キロの道のりで、車で4、5時間かかる。
当初、6時出発のはずだったが、迎えに来たイトコがマイペースで、たまたま予定より早く起きたから早く迎えにきたそうだ。早朝2時半にベッドに入った私は、6時出発に合わせて準備していたので、ちょっとペースを狂わされた。

勿論、起きてはいたが、結局オニギリを作る時間もなく、慌ただしい出発だった。
私は日本人のメンタリティーを持ち合わせているせいか、こんな早朝に近所迷惑なクラクションを鳴らすのはいかがなものかと思った。

1942年~1946年の約4年間、約10万人の日系人が全米各地10カ所の日系強制収容所に収容された。70年前に日本人、日系2世、3世は全てを失いここに強制収容されたのだ。
昨年3月11日の東日本大震災や福島原発事故で全てを失った方々と状況は異なるが、一時的に希望を失ったという点では、共通の体験をしたと言えるだろう。

当時、私の祖父は家族とL.A近郊のサンフェルナンド・バレーに住んでいた。しかし、多くの日系人同様、地元警察とFBI、そしてアメリカ陸軍による、48時間以内の強制執行により住み慣れた家と農地を追い立てられた。最初は一時的に16ヶ所に設けられた「集結センター」に収容された。祖父たちの「集結センター」はL.A近郊のサンタアニータ競馬場の臭い馬舎だった。要するに人間扱いされなかったのだ。

その後、転住局によって砂漠地帯や人里から離れた荒地に作られた「戦時転住所(Relocation Center)」と呼ばれる全米10ヶ所の強制収容所に順次入れられることになった。祖父たちはこのマンザナーへと送り込まれ、ここでは祖父と、父の兄夫婦と弟が同居した。

真珠湾攻撃後、急ピッチで建設された強制収容所は当初は雑で、お粗末な作りだった。気候条件が悪いのに、壁は薄いベニア一枚で、隙間から砂埃が入ってくるような掘建て小屋だった。冬は超寒く、夏は猛暑の中で日本人は創意工夫で乗り越えてきた。日系人それぞれが協力し合い、適材適所で活躍したことで生活は大きく改善された。しかしそれは所詮、有刺鉄線のフェンスに囲まれ、兵士の銃口が日系人に向けられている中での生活だった。

日系人で組織された建築部がバラックの補修や建築を担当し、トイレ、食堂、診療所、集会所などを作った。みんなが協力して野球のグラウンドも整地し、日本庭園、畑も作った。趣味の会、演芸会、冠婚葬祭と、とてもまとまった日系コミュニティーが形成された。
みんなが一番困ったのがトイレだ。仕切りが全然ない便器が並んでいるだけだった。男性でも恥ずかしかったそうだから、女性はもっと恥ずかしかった事だろう。建築部はまず、トイレを改築した。

それまでは食事はアメリカ人が作った雑で不味い料理が並び、食が進まなかったと聞いている。それからは、日本人仕様のキッチンに作り直し、料理も日本人が作るようになった。

当時、祖母と父の姉2人、妹、弟と父本人も日本にいた。家族が分断されて、もちろんお互いに連絡もとれない。日本に住む父と叔父は、アメリカ生まれなのだが、日本帝国陸軍の軍人として、彼らの父親や兄弟がいるアメリカと戦う事になったのだ。
当時は日本人の子供が6歳ぐらいになると、教育レベルが高かった日本で教育させる家庭が多かった。そういう私の亡き父のように日本で育ち、戦後アメリカに戻った日系人を帰米2世と呼ぶ。

マンザナーの近くの小さな町、Lone Pineには午前10時前に着いて、マクドナルドで軽く朝食をとった。この日も夏を思わせる炎天下だったが、マンザナーを見下ろす山々にはまだ残雪が白く輝いていた。2年前に訪問した時より涼しい風が体にあたり、気持ちが良かった。

この町で出会う日系人のほとんどがマンザナーに向かった。マンザナー日系強制収容所の跡地にはレストランはないので、みんながこの町で腹ごしらえをするのだ。

マンザナーは時折、風が強く吹き、砂塵を巻き上げていく。
まず、跡地にあるミュージアムに入った。ここでは当時の写真や生活関連の展示、3メートル四方の当時のマンザナー強制収容所全体の模型などがある。

よくわからないが、車をミュージアムの駐車場に停め、近くまで車で行かず、そこから約2キロほど砂漠を歩いた。イトコはいつもマイペースだ。正午になると風も生暖かく、日差しも強く、乾燥した空気でノドがカラカラに渇いた。
バスが数台駐車されている広場にたどり着いた頃、セレモニーはスタートしたばかりだった。
(パート2に続く)

スミソニアン博物館「我慢の芸術」の動画!

日系人強制収容所での芸術の数々!

日系人強制収容70年で追悼式典(NHK)

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一昨日はマンザナー日系強制収容所の跡地で、巡礼セレモニーがあった。このイベントが催されるようになって今年で20年目だ。私は過去、10年前、2年前と今回で3度目の参加である。マン...
[2012/05/01 17:01] まとめwoネタ速suru

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在米通算35年以上。我が祖国・日本大好き人間です。日本文化や先人たちが築いた功績を最大限に評価している。北米日台同盟会長、L.A・日本をよみがえらせる会代表。柔道2段、合気道、居合道、相撲初段。
日本に帰国する度、生活様式、行動様式がシナ人、朝鮮人化する日本人を見て危惧している。
外国人参政権には絶対反対。どこの国がそれを実施しているというのだ?在日特権廃止、パチンコ撲滅を願っている。
TPPにも基本的には反対。受け入れると日本の国柄を失い、日本人らしさを失い、2万5千社以上ある100年以上続いた老舗企業がほとんど数年のうちに姿を消す事になる。日本文化が失われ、金に心を奪われた自分勝手な人間社会が出来上がるのだ。
国民が知らないうちにシナ人、朝鮮人、不良外国人が繁殖した日本。世界中でダントツに治安がいい国と評価されていた日本が、このままだとトップの座から転落する。
気がつかないうちに日教組教育に染まった日本人。
今でも旧「たちあがれ日本」のメンバーを支援する。安部政権、真正保守の政治家には大いに期待している。
それにしても3年3ヶ月の詐欺師、嘘つき、素人、売国奴の民主党政権が残したツケは大きい。
日本の国益を損ね、在外邦人の名誉を傷つけた国賊の河野洋平は許せない。そして息子の太郎もキライだ。
鳩山由紀夫、菅直人、民主党、社民党は大嫌いで目障りだ!
このままだと、私が笑顔で過ごせる祖国がなくなってしまう。
日本人が一日も早く気づかないと取り返しがつかなくなる。そのため、遠くロサンゼルスから声を張り上げる。

柔道2段、合気道初段、居合道初段、アマチュア相撲初段。

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